高岡漆器とは?



 高岡の漆器は前田利長卿が志貴野に築城した慶長の頃(1609)、武具や、赤物と言われる

箪笥・長持ちなどの一般調度品の製作に始まったと伝えられています。


 明和の頃、京都に上がって研鑚した辻屋丹甫が高岡へ帰り、堆朱・堆黒などの中国風漆器を伝え、

その後も板屋小右衛門等の名工が相次ぎ、特に彩漆による存星・彫刻塗りなどが盛んとなり、

これらの古い技巧は五月一日、高岡の祭礼に引きまわされる絢爛豪華な御車山に今も遣わされ、

貴重な国の重要民俗資料として指定(昭和三五年・六・九)されております。

幕末から明治にかけて石井勇助・三村卯右衛門の両巨匠が、古代朱の地に山水・花鳥・人物等を

筆勢を見せて錆絵描きし、あるいは要所に王石・貝・珊瑚などを嵌入して特異な作風を作り、

勇助塗りの名声を高め、また明治三十年頃、納富介次郎・村上九郎作の指導による彫刻鯛盆は

格調の高いもので海外でも好評を博し特産産業に成長いたしました。


 この永い伝統に培われて今日に継承された高岡の彫刻塗り・勇助塗り・繊細優美な青貝塗の固有技術は、

伝統的工芸品に技術・技法として国の指定を受けるところとなりました。

もとより、この栄誉は先人の努力によるものであり産地として最も誇りとするところで、

今後も伝統の継承と産地の限りない発展を期すべく精進いたす所存でおります。